『柔』について
部屋の混沌とした本の山から武道の本がゴソゴソ出てきたので、日本の武道についていろいろいきたいと思います。
日本の武道といえば皆さんはどのくらい知ってますか?少しあげてみますと・・・柔道・空手・剣道・合気道・少林寺拳法・日本拳法・居合道などでしょうか?日本は世界の中でも武術の数が多い国なんですよね。今回は武器術は抜いて考えてみたいと思います。
武器を使わない武術といっても一部使う武術もありますが主体が無手の武術についてにします。
そうなると、柔道・空手・合気道・少林寺拳法・日本拳法になりますね。
皆さん地球の北と南で武術・格闘技の技法に特徴があるの知ってますか?昔なにかの本に載っていましたが、地球の北側は組み技主体が多く南側は打撃主体が多いそうです。日本も例に漏れず組み技主体の技法になっています。なので昔日本とは別の国だった琉球の武術の空手(唐手)は除かしていただきます。
柔道・合気道・少林寺拳法・日本拳法は近代武道というのは皆さんご存知だと思います。各武道について少し説明します。
柔道は1882年に嘉納治五郎氏によって創始されました。正式名称は「日本伝講道館柔道」といい2人の選手が組み合って、相手を投げて背中から落とす、相手の足をはらい倒す、あるいは一定時間以上押さえ込むことができれば勝ちとなります。現在は皆さん知っての通りオリンピック種目にもなるほど世界に普及し「世界のJUDO」となっています。有名な人物は『姿三四郎』のモデルにもなった西郷四郎やグレイシー一族に柔術を教えたコンデ・コマこと前田光世、さらには「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」とまで言われた木村政彦や空気投げで知られた三船久蔵など数え切れないほどの名人がいます。「柔道」と認められているのは講道館柔道のみで流派が無いのも特徴といえます。(高専柔道はルールが異なるため柔道とはされていない)
合気道は1942年(合気道と呼ばれるようになった年)に植芝盛平翁により創始されました。体術の基本は関節技ですが、上達すると、各種の多彩な投げ技・極め技を身につけることができます。また体捌きを有効に使うことにより技の効力がさらに向上させることができます。他の武術と比べ精神性を重んじ、型稽古を行い乱捕り・試合をしたりしません。また多くの分派があります。銃弾をかわした植芝盛平翁を初めロバート・ケネディ氏のシークレットサービスを圧倒した塩田剛三、フランス外人部隊を震え上がらせた阿部正など伝説的な逸話をもつ門人が多いもの特徴です。
少林寺拳法は1947年に宗道臣氏によって創始された日本の武道です。禅の精神修養と護身を旨とする拳法の流派および宗教団体で別派を認めない世界で唯一の宗教団体及び武道団体として結束力が強いです。実はあんまり少林寺は詳しくないんです。というわけではじめちゃんよろしく〜
日本拳法は1932年澤山宗海氏によって作られました。柔道の当身技が、形には含まれているが試合では禁止されていることにより、余り練習されていない状況から、当身技の練習法の確立を目的として創始された武道です。当身技を中心した体系であるため「拳法」と称されたそうです。防具(面・胴・股当)とグローブを着け、突き、蹴り、投げ、関節技を駆使して勝敗を決します。日本拳法の直突きの威力は他の流派にもあまねく知られており、日本拳法を代表する技の一つにもなっています。キックボクシングの猪狩元秀やボクシングの渡辺二郎などが他の格闘技でも有効であることを示しました。
ここまでダラダラ書いてきましたが、これら近代武道の創始者はひとりで今の技法を作り上げたのかというとそうじゃないんです。きちんと元になるものがあります。それが
『柔術』です。
「柔術」と聞いてブラジリアン柔術(グレーシー柔術)を思い浮かべる人がいると思いますが、違います。日本原産の古流柔術です。
日本の武道といえば皆さんはどのくらい知ってますか?少しあげてみますと・・・柔道・空手・剣道・合気道・少林寺拳法・日本拳法・居合道などでしょうか?日本は世界の中でも武術の数が多い国なんですよね。今回は武器術は抜いて考えてみたいと思います。
武器を使わない武術といっても一部使う武術もありますが主体が無手の武術についてにします。
そうなると、柔道・空手・合気道・少林寺拳法・日本拳法になりますね。
皆さん地球の北と南で武術・格闘技の技法に特徴があるの知ってますか?昔なにかの本に載っていましたが、地球の北側は組み技主体が多く南側は打撃主体が多いそうです。日本も例に漏れず組み技主体の技法になっています。なので昔日本とは別の国だった琉球の武術の空手(唐手)は除かしていただきます。
柔道・合気道・少林寺拳法・日本拳法は近代武道というのは皆さんご存知だと思います。各武道について少し説明します。
柔道は1882年に嘉納治五郎氏によって創始されました。正式名称は「日本伝講道館柔道」といい2人の選手が組み合って、相手を投げて背中から落とす、相手の足をはらい倒す、あるいは一定時間以上押さえ込むことができれば勝ちとなります。現在は皆さん知っての通りオリンピック種目にもなるほど世界に普及し「世界のJUDO」となっています。有名な人物は『姿三四郎』のモデルにもなった西郷四郎やグレイシー一族に柔術を教えたコンデ・コマこと前田光世、さらには「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」とまで言われた木村政彦や空気投げで知られた三船久蔵など数え切れないほどの名人がいます。「柔道」と認められているのは講道館柔道のみで流派が無いのも特徴といえます。(高専柔道はルールが異なるため柔道とはされていない)
合気道は1942年(合気道と呼ばれるようになった年)に植芝盛平翁により創始されました。体術の基本は関節技ですが、上達すると、各種の多彩な投げ技・極め技を身につけることができます。また体捌きを有効に使うことにより技の効力がさらに向上させることができます。他の武術と比べ精神性を重んじ、型稽古を行い乱捕り・試合をしたりしません。また多くの分派があります。銃弾をかわした植芝盛平翁を初めロバート・ケネディ氏のシークレットサービスを圧倒した塩田剛三、フランス外人部隊を震え上がらせた阿部正など伝説的な逸話をもつ門人が多いもの特徴です。
少林寺拳法は1947年に宗道臣氏によって創始された日本の武道です。禅の精神修養と護身を旨とする拳法の流派および宗教団体で別派を認めない世界で唯一の宗教団体及び武道団体として結束力が強いです。実はあんまり少林寺は詳しくないんです。というわけではじめちゃんよろしく〜
日本拳法は1932年澤山宗海氏によって作られました。柔道の当身技が、形には含まれているが試合では禁止されていることにより、余り練習されていない状況から、当身技の練習法の確立を目的として創始された武道です。当身技を中心した体系であるため「拳法」と称されたそうです。防具(面・胴・股当)とグローブを着け、突き、蹴り、投げ、関節技を駆使して勝敗を決します。日本拳法の直突きの威力は他の流派にもあまねく知られており、日本拳法を代表する技の一つにもなっています。キックボクシングの猪狩元秀やボクシングの渡辺二郎などが他の格闘技でも有効であることを示しました。
ここまでダラダラ書いてきましたが、これら近代武道の創始者はひとりで今の技法を作り上げたのかというとそうじゃないんです。きちんと元になるものがあります。それが
『柔術』です。
「柔術」と聞いてブラジリアン柔術(グレーシー柔術)を思い浮かべる人がいると思いますが、違います。日本原産の古流柔術です。
柔術は、日本独特の徒手武術。柔術は戦国時代の合戦用に工夫された「甲冑武術(鎧組討ち)」と江戸時代になってから発展した「素肌武術」に大別されます。広く研究され、流派が多数存在したことを証すように、柔・和・和術(やわら)・体術・胎術(たいじゅつ)・拳法・腰廻・小具足術・挫術・座術・莝術・坐術・体座術・体挫術・体坐術・体莝術・白打・組討・組打・組討術・組打術(くみうち)・鎧組討術・鎧組打術・取捨術・捕手・捕縛など、数多くの名称があります。また柔術と聞くと投げや関節技などのイメージがあると思いますが、戦場の武器戦闘の補足技術として発生したと考えられていて、そのため小刀の帯刀を前提としており、中には拳足を武器になぞらえた技術体系を持っている流派も多くあります。おそらく武士が相手を小刀を使用しないで捕らえる方法として組み技主体になり広く広まったのではないでしょうか。
主な流派としては、起倒流、良移心当流、四心多久間四代見日流(四心多久間流) 、関口流、渋川流、渋川一流、大東流、立身流、無双直伝流、竹内流、双水執流、天真正伝香取神道流 、天然理心流剣術、気楽流、柳生心眼流 、楊心流、天神真楊流、石黒流、揚心古流などです。なかでも有名なのが竹内流捕手腰廻で、古流柔術の源流は竹内流といわれています。
近代武道の土台になった古流柔術は
・柔道→起倒流柔術・天神真楊流柔術
・合気道→大東流柔術・起倒流柔術・柳生心眼流兵術
などがあります。柔道や合気道に各柔術諸派の技が色濃く残っています。
ではなぜ古流柔術が柔道や合気道のように広く広まらなかったのでしょうか?近代武道の原型であり、優れた技を持つ古流柔術ですから当然世に広まってもいいはずです。なぜでしょう?
明治維新により武士の身分がなくなったことにより武士の技だった古流柔術は行き場を失い、さらに文明開化によって「より新しいものを」という考えが大衆に広がり古流柔術は、古いものと認識され衰退してしまったものと思われる。また近代武道の柔道や合気道は、平和な現代に即しできるだけ相手を傷つけない技の中でもより安全な技を選び鍛えてきている。原型である古流柔術から考えると無くなった技が数多く存在する。そのことによりより高度で危険な技の多い古流柔術は自分自身の危険の少ない近代武道に遅れを取ってしまったのだと思う。
しかし、広めるために技法を変えることは必要なことではない。確かに柔道や合気道のように時代にあったものを選び作り上げることはよいことだがそのなかで失っていってしまったものも多い。たとえば現在合気道系団体の多くは弟子が師範に向かっていって投げられ立って投げられという演武を行っているが、本来武道に限らず師範は弟子を導く存在である。剣道などでは打太刀を必ず上の人間が行っているという。失ったものの多くは礼法などである。柔道がいい例である。柔道はいまやスポーツとしての認識が高い、試合会場に入るときの礼をみると首が少し動いただけであったり勝ったら相手のことを考えずに泣き喜ぶ、喜ぶのことはよいのだがきちんとした礼をもってほしいと思う。嘉納治五郎氏が生前に「今の柔道は私の理想とした柔道ではない」と言っていた。
創意工夫の考えが近代武道を発展させ、そしてその中で一部の大切なものが失われてしまっているのである。
では古流柔術はどうか。古流柔術が盛んに行われていた時代は、とにかく先人の英知を模倣することが人間形成の形とされていたのである。そこには創意工夫を加える隙はなく、昔のことを考え模倣することを稽古とよんでいた。そのため稽古は先人が作り出した型稽古でありその鍛錬を稽古としていたのである。これは決して練習ではない。
つまり古流柔術は先人の模倣行為でありそれにより流祖に近づくことが基本であるその考え方は過去のものを変わらず伝えることであるため失ったものはすくないと思う。
また最近になって古流が見直されてきている。西洋の文化を取り入れて発展してきた日本社会がようやく自分たちの本来の『先輩』の知恵を聞くようになってきたのである。このことによってより古流柔術が変わらぬ姿のまま発展してほしいと思う。
ダラダラ書いてきました。これはあくまで私の個人的な考えです。
何か間違いがありましたら、そっと教えてくれるとうれしいです。そしてなにがいい・なにが悪いということでもありません。あしからず。
長い文章お付き合いいただきありがとうございます。
この話が皆さんにうまく伝わるとうれしいですm(_ _)m
主な流派としては、起倒流、良移心当流、四心多久間四代見日流(四心多久間流) 、関口流、渋川流、渋川一流、大東流、立身流、無双直伝流、竹内流、双水執流、天真正伝香取神道流 、天然理心流剣術、気楽流、柳生心眼流 、楊心流、天神真楊流、石黒流、揚心古流などです。なかでも有名なのが竹内流捕手腰廻で、古流柔術の源流は竹内流といわれています。
近代武道の土台になった古流柔術は
・柔道→起倒流柔術・天神真楊流柔術
・合気道→大東流柔術・起倒流柔術・柳生心眼流兵術
などがあります。柔道や合気道に各柔術諸派の技が色濃く残っています。
ではなぜ古流柔術が柔道や合気道のように広く広まらなかったのでしょうか?近代武道の原型であり、優れた技を持つ古流柔術ですから当然世に広まってもいいはずです。なぜでしょう?
明治維新により武士の身分がなくなったことにより武士の技だった古流柔術は行き場を失い、さらに文明開化によって「より新しいものを」という考えが大衆に広がり古流柔術は、古いものと認識され衰退してしまったものと思われる。また近代武道の柔道や合気道は、平和な現代に即しできるだけ相手を傷つけない技の中でもより安全な技を選び鍛えてきている。原型である古流柔術から考えると無くなった技が数多く存在する。そのことによりより高度で危険な技の多い古流柔術は自分自身の危険の少ない近代武道に遅れを取ってしまったのだと思う。
しかし、広めるために技法を変えることは必要なことではない。確かに柔道や合気道のように時代にあったものを選び作り上げることはよいことだがそのなかで失っていってしまったものも多い。たとえば現在合気道系団体の多くは弟子が師範に向かっていって投げられ立って投げられという演武を行っているが、本来武道に限らず師範は弟子を導く存在である。剣道などでは打太刀を必ず上の人間が行っているという。失ったものの多くは礼法などである。柔道がいい例である。柔道はいまやスポーツとしての認識が高い、試合会場に入るときの礼をみると首が少し動いただけであったり勝ったら相手のことを考えずに泣き喜ぶ、喜ぶのことはよいのだがきちんとした礼をもってほしいと思う。嘉納治五郎氏が生前に「今の柔道は私の理想とした柔道ではない」と言っていた。
創意工夫の考えが近代武道を発展させ、そしてその中で一部の大切なものが失われてしまっているのである。
では古流柔術はどうか。古流柔術が盛んに行われていた時代は、とにかく先人の英知を模倣することが人間形成の形とされていたのである。そこには創意工夫を加える隙はなく、昔のことを考え模倣することを稽古とよんでいた。そのため稽古は先人が作り出した型稽古でありその鍛錬を稽古としていたのである。これは決して練習ではない。
つまり古流柔術は先人の模倣行為でありそれにより流祖に近づくことが基本であるその考え方は過去のものを変わらず伝えることであるため失ったものはすくないと思う。
また最近になって古流が見直されてきている。西洋の文化を取り入れて発展してきた日本社会がようやく自分たちの本来の『先輩』の知恵を聞くようになってきたのである。このことによってより古流柔術が変わらぬ姿のまま発展してほしいと思う。
ダラダラ書いてきました。これはあくまで私の個人的な考えです。
何か間違いがありましたら、そっと教えてくれるとうれしいです。そしてなにがいい・なにが悪いということでもありません。あしからず。
長い文章お付き合いいただきありがとうございます。
この話が皆さんにうまく伝わるとうれしいですm(_ _)m
コメント
ありがとー
ありがとー(ノД`)
くわしく書いてくれてせんきゅーです。
「力愛不二」とかは知ってたんだけど詳しい人に頼んだほうがよいとおもったので・・・
くわしく書いてくれてせんきゅーです。
「力愛不二」とかは知ってたんだけど詳しい人に頼んだほうがよいとおもったので・・・
教えて下さい
大変詳しく有難うございます。大変勉強になりました。
私大変興味があるのですが何処を見たらいいのかわかりません。可能な限り教えて頂けますでしょうか。
1.組討術についてその基本理念
2.組討術の開祖と現在その流派
3.日本では流派と言いますが、流と派とどちらが先に起こるのでしょうか。
すみませんが宜しくお願いいたします。
私大変興味があるのですが何処を見たらいいのかわかりません。可能な限り教えて頂けますでしょうか。
1.組討術についてその基本理念
2.組討術の開祖と現在その流派
3.日本では流派と言いますが、流と派とどちらが先に起こるのでしょうか。
すみませんが宜しくお願いいたします。
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すっかり忘れてたけど
後輩が結構前にブログを立ち上げていた。かざっちのAIKI堂ときどきここにも書き込んでますな。前に「リンクしていい?」と許可を求めたのに、そしてOKもらったのに、ずっと


幼少期より祖父から日本武術(剣術・柔術)の手ほどきを受けた開祖・宗道心が、戦時中に中国の少林寺の和尚様や各地の拳法家から技を習い、それを原型とし、日本の柔術を合わせ、技に日本名をつけた。さらに、現在消え去ろうとしている崇山少林寺の武芸を後世へ伝えたいという事で『少林寺拳法』と名づけました。戦後、日本の青少年達の腐敗を嘆き悲しんだ開祖が「祖国復刻のため、20世紀を背負って立つ青少年達を導くため」と思い立ったのが歴史の始まり。技術体系としては突き・蹴り・の『剛法』、抜き技・逆技・投げ技を主体とした『柔法』、修練で痛めた身体を回復させるための『整法』の三法からなる。思想として、「力愛不二」(正義の行使の為の力)「不殺活人」(人を殺めず人を活かす)が根底にあるため、また、仏門の心を守るため「守主攻従」(完全に受けてから攻撃に転ずる)を旨としている。故に自分から手を出すことは無い(一部暴漢を取り押さえるための技を除く。)
精神修養・護身練鍛・健康増進の三徳を中心とした稽古内容が尊重されている。
こんな感じかしら。